2025年8月、ロンドンの大英博物館を訪れました。
膨大な展示の中で、何枚も角度を変えて写真を撮り、動画まで残したものがあります。赤と白のチェス盤に並ぶ、どこか人間らしい表情の駒です。
最初に惹かれた理由は、『ハリー・ポッターと賢者の石』に登場する魔法使いチェスとのつながりでした。赤白の盤を見ていると、『鏡の国のアリス』に登場する赤の女王と白の女王の世界も思い浮かびます。
そして何より興味を持ったのが、この駒が私の好きなスコットランドのルイス島で発見されたことでした。
展示ラベルには「1150〜1200年ごろ」「スカンディナヴィア、おそらくノルウェー」「セイウチの牙」とあります。
なぜノルウェーで作られたと考えられる駒が、スコットランドの島に埋められていたのでしょうか。
この記事では、大英博物館で撮影した写真を見ながら、ルイス島のチェス駒がたどってきた中世の海と文化の道を探ります。

ルイス島のチェス駒とは?

ルイス島のチェス駒(Lewis Chessmen/Lewis chess pieces)は、スコットランド北西部のアウター・ヘブリディーズ諸島にあるルイス島で、19世紀に発見された中世のゲーム駒です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 制作年代 | 1150〜1200年ごろ |
| 制作地 | スカンディナヴィア、おそらくノルウェー |
| 主な素材 | セイウチの牙。一部はマッコウクジラの歯 |
| 発見地 | スコットランド・ルイス島のウィグ周辺 |
| 発見が公になった年 | 1831年 |
| 発見されたゲーム駒 | 合計93点 |
| 現在の主な所蔵先 | 大英博物館82点、スコットランド国立博物館11点 |
| 大英博物館の展示場所 | Room 40・中世ヨーロッパ展示 |
93点には、少なくとも4組分のチェス駒と、バックギャモンに似た「テーブルズ」などに使われた丸い駒が含まれています。写真の別ケースに並んでいる円盤状の駒も、同じ遺物群の一部です。
すべてが一組のチェスセットとしてそろっていたわけではありません。複数の高価なゲームセットを運んでいた商人の商品だった可能性や、地域の有力者が所有していた可能性が考えられています。誰が、なぜ埋めたのかは今も分かっていません。
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大英博物館でルイス島のチェス駒に惹かれた理由

ハリー・ポッターで見た魔法使いチェスにつながっていた
ルイス島のチェス駒を模した複製セットは、2001年の映画『ハリー・ポッターと賢者の石』にも登場しています。
大英博物館によると、映画でハリーとロンが魔法使いチェスをする場面には、同館の学芸員アーヴィング・フィンケルが所有していたルイス島のチェス駒の複製が使われました。
映画終盤に登場する巨大な石像風のチェス駒とは外見が異なります。ルイス島の駒を確認できるのは、ハリーとロンが小さな盤で遊ぶ魔法使いチェスの場面です。女王が椅子から立ち上がり、椅子を使って騎士を倒す動きも描かれています。
映画のために一から考えられたファンタジーの駒だと思っていたものが、約800年前の中世の工芸品につながっていました。物語の中で動き出した駒を、今度は大英博物館のガラスケース越しに見ていることが不思議に感じられます。
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赤と白のチェス盤から『鏡の国のアリス』を思い出した
展示では、淡い象牙色の駒が赤と白の盤に並べられています。
この配色を見て、私が思い浮かべたのはルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』でした。物語ではチェスが全体の構造に使われ、赤の女王と白の女王が登場します。アリス自身も白のポーンとして盤上を進み、最後には女王になります。
現在の展示盤を、12世紀の盤の忠実な復元とみなすことはできません。一方、ルイス島の駒の一部から水銀の痕跡が検出されており、当時は辰砂によって赤く彩色された駒があった可能性が指摘されています。
目の前の赤白の盤からアリスを連想したことは、単なる偶然の印象でした。それでも調べてみると、中世には赤い駒が存在した可能性も見えてきました。
一番惹かれたのはスコットランドとのつながり
私にとって最も大きかったのは、名前の由来となったルイス島がスコットランドにあることでした。
ただし、駒がスコットランドで制作されたとは限りません。彫刻の様式、玉座の背面にある蔓草や組みひも模様、ノルウェーの教会彫刻との類似から、ノルウェーで作られた可能性が高いと考えられています。
12〜13世紀ごろのルイス島は、現在の国境感覚だけでは捉えきれない場所でした。当時のヘブリディーズ諸島は北欧文化の影響が強いノース=ゲール世界に属し、ルイス島もノルウェー王権と深いつながりを持っていました。
ノルウェーからアイルランド方面へ向かう航路は、アウター・ヘブリディーズの近くを通ります。ルイス島のチェス駒は、スコットランドと北欧が海によって結ばれていた時代を、小さな姿の中に残しているのです。
なぜ「ルイス島」のチェス駒なのにノルウェー製なの?

「ルイス島のチェス駒」という名前は、制作地よりも発見地に由来します。
駒が作られたと考えられるノルウェーと、発見地のルイス島。その間には、さらに遠いグリーンランドも関係しています。
多くの駒に使われたセイウチの牙は、グリーンランドから北欧へ運ばれた可能性があります。そこからノルウェーの工房で彫られ、船でルイス島周辺へ運ばれたと考えると、ひと組のゲーム用品から中世の広大な交易圏が見えてきます。
グリーンランドの素材、ノルウェーの彫刻文化、スコットランドの島、そして現在展示されているロンドン。ルイス島のチェス駒は、ヨーロッパ北部の海を移動してきた小さな旅人のようです。
王・王妃・司教・騎士|駒ごとに表情が違う

ルイス島のチェス駒が印象に残る理由の一つは、一体ずつ異なる表情と姿です。

- 王:冠をかぶって玉座に座り、剣を膝の上に置く
- 王妃:頬に手を当て、考え込むような表情を見せる
- 司教:司教冠をかぶり、司教杖を持つ
- 騎士:盾と槍を持ち、小さな馬に乗る
- ウォーダー:剣と盾を持つ歩兵で、現代チェスのルークに当たる
- ポーン:人の姿を持たず、墓標や立石のような形をしている

特に有名なのが、盾の上部にかみつくウォーダーです。戦いの興奮状態に入った北欧の戦士「ベルセルク」を表すと解釈されています。ベルセルクは、北欧神話や古ノルドの物語でオーディンとの関係が語られる戦士です。
また、司教の駒が含まれていることから、チェスがヨーロッパへ広まる中で、当時のキリスト教社会に合う人物へ置き換えられていったことも分かります。インドやイスラム圏を経て伝わったゲームが、北欧の王・王妃・司教・騎士の社会を映す姿へ変化していました。
王妃が頬に手を当てているのはなぜ?

写真を拡大すると、王妃が片手を頬に当てています。驚いているようにも、困っているようにも、戦況を考え込んでいるようにも見えます。
この姿が何を意味するのか、確実な答えは残っていません。悲嘆や心配を表す中世美術の身ぶりと見る説明もあります。ただ、同じ姿勢でも顔つきは一体ずつ異なり、現代の私たちが感情を想像できる余白があります。
王は剣を抱え、司教は杖を持ち、騎士は小さな馬に乗っています。チェスの役割を知らなくても、中世の身分や職業が伝わる小さな人物彫刻です。
1831年、ルイス島の砂丘から現れた

ルイス島のチェス駒が世に知られたのは1831年です。ルイス島西岸のウィグ湾周辺で見つかったとされています。
ただし、正確な発見場所や状況には複数の説があります。砂丘、崩れた修道院、地下の石造空間など、後世に異なる話が伝えられました。発見者をマルコム・マクラウドという人物とする説もありますが、詳しい記録は乏しいままです。
さらに、なぜ駒が埋められたのかも分かっていません。
- ノルウェーからアイルランド方面へ向かう商人が隠した
- 船が難破し、商品が海岸近くに残された
- ルイス島の王侯や司教など、有力者が所有していた
こうした可能性が考えられています。
発見から間もなく遺物群は分けて売られました。現在は大英博物館が82点、スコットランド国立博物館が11点を所蔵しています。大英博物館所蔵品の一部は、発見地に近いルイス島のMuseum nan Eileanへ貸し出されています。
ルイス島のチェス駒│写真と動画で気づいた細かな違い

現地では、赤白の盤全体、近くに分けて展示された駒、表情が見える距離と、何度も角度を変えて撮影しました。
写真を見返すと、同じ役割の駒でも冠、ひげ、衣服、盾、座り方が少しずつ違います。少なくとも4組のセットが混ざっているとされ、複数の彫刻家が同じ工房で制作した可能性も考えられています。
動画では、正面の表情だけでなく、玉座の側面や背後の装飾も確認できます。駒は盤上で向かい合って使うものなので、実際には背中側も人に見られます。玉座の裏まで蔓草や組みひも模様を彫った職人の仕事から、高価な工芸品として作られたことが伝わってきます。
ルイス島のチェス駒は大英博物館のどこにある?

大英博物館では、ルイス島のチェス駒をRoom 40「Medieval Europe 1050–1500」で見られます。
展示場所や貸出状況は変わる可能性があるため、訪問前には大英博物館の公式コレクションで確認してください。
大英博物館の予約、入場、所要時間、見どころを効率よく回るルートは、こちらの記事にまとめています。
👉大英博物館の見どころ11選|ロゼッタストーン・ミイラの場所と効率的な回り方
ルイス島のチェス駒に関するよくある質問

ルイス島のチェス駒はスコットランドで作られたの?
発見地はスコットランドのルイス島ですが、彫刻様式などから、スカンディナヴィア、特にノルウェーで作られた可能性が高いと考えられています。
何で作られていますか?
多くはセイウチの牙です。一部にはマッコウクジラの歯が使われています。
ハリー・ポッターの映画に本物が使われたの?
撮影に使われたのは、大英博物館の学芸員が所有していた複製セットです。約800年前の本物の駒は博物館に所蔵されています。
赤と白の駒だったの?
現在は象牙色に見えますが、一部の駒から水銀が検出され、辰砂で赤く彩色されていた可能性があります。発見時に色が残っていたという古い報告もあります。
ルイス島のチェス駒は全部で何点ありますか?
同じ遺物群から発見されたゲーム駒は93点です。そのうち82点を大英博物館、11点をスコットランド国立博物館が所蔵しています。チェス駒に加えて、ほかのゲームに使われた円盤状の駒も含まれます。
ハリー・ポッターからスコットランドと北欧の海へ|まとめ
大英博物館でルイス島のチェス駒に足を止めたきっかけは、ハリー・ポッターで見たような人物型の駒と、アリスの世界を思わせる赤白の盤でした。
調べていくと、その背景には私の好きなスコットランドのルイス島があり、さらにノルウェー、グリーンランド、中世の海上交易へと物語が広がっていきました。
王妃の困ったような表情、盾にかみつく戦士、何も語らない立石のようなポーン。一体ずつ眺めると、約800年前の人々も、ゲームを囲みながら駒に性格や物語を感じていたのではないかと想像したくなります。
現地で気になって写真を何枚も撮っておいたことで、帰国後に旅がもう一度始まりました。
次に大英博物館を訪れる時は、駒の正面だけでなく、細かな彫刻が残る玉座の背面も見てみたいと思います。
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参考資料
- British Museum, The Queen’s Gambit: how the Lewis Chessmen won the world over
- British Museum, Long-term loans: Lewis Chessmen
- British Museum, The Lewis Chessmen collection search
- National Museums Scotland, The story of the Lewis chess pieces
- National Museums Scotland, Redisplay of the Lewis chess pieces
- The Metropolitan Museum of Art, The Game of Kings
- Project Gutenberg, Through the Looking-Glass



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