エディンバラで実際にバグパイプの生演奏を聴いたとき、その重厚な音が街やお城の広場に響く光景がとても印象的でした。
今ではスコットランド、ひいてはケルト文化そのものの象徴のような楽器ですが、実はバグパイプの起源はケルト文化にはありません。
この記事では、バグパイプの起源をめぐる本当のところから、スコットランドでどのように「ケルトの象徴」になっていったのか、その歴史をまとめてご紹介します。
バグパイプの基本情報

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 起源 | 正確な起源は不明。古代西アジア(ヒッタイトなど)や古代ローマに原型と解釈される資料があるが、確定した系譜はない |
| スコットランド伝来 | 時期は不明。確実な図像・文献史料は主に15世紀以降(1446年ロスリン礼拝堂の彫刻、1489年の王室会計記録など) |
| 現在に近い形 | 18〜19世紀に、3本のドローンを備えたグレート・ハイランド・バグパイプが標準化 |
| 演奏禁止の歴史 | 演奏を一律に禁じた法律は確認されていない。1746年のジャコバイト蜂起鎮圧後、武器やハイランド服が法律で規制された |
| 主な役割 | 氏族社会の儀礼、戦場・軍隊、結婚式・葬式、ハイランドゲームなどの祭礼 |
バグパイプは実はケルト発祥の楽器ではない

バグパイプの正確な起源は、実はよくわかっていません。
紀元前1000年頃の古代ヒッタイト(古代西アジア)の浮彫にバグパイプらしき楽器が描かれているという説や、古代ローマにも空気袋を使う管楽器があったとする文献もありますが、そこから現在のバグパイプへ直接つながる確かな系譜は証明されていないのです。
はっきりしているのは、少なくとも中世以降、西アジアから北アフリカ、ヨーロッパにいたる広い地域で、それぞれ独自の形のバグパイプが演奏されてきたということ。つまりバグパイプは、特定の一つの文化圏から一直線に伝わった楽器というより、各地でそれぞれ発展してきた楽器の総称に近いといえます。
スコットランドに伝わった時期についても、確実な史料はありません。ローマ軍がブリテン島へ持ち込んだという説や、アイルランド系ゲール人の移動とともに伝わったという説もありますが、いずれも確定したものではなく、スコットランドにおける確かな図像・文献資料は主に15世紀以降のものです。
たとえば1446年に建てられたロスリン礼拝堂には、バグパイプを演奏する天使の彫刻が残されていますし、1489年の王室会計記録には、パイパーへの支払いの記録も見つかっています。
つまりバグパイプは、ケルト文化が独自に生み出した楽器ではなく、起源のはっきりしない楽器が、スコットランドを含む各地でそれぞれ独自に発展し、後から「その土地の象徴」として根づいていった楽器、ということになります。
戦場に立ったパイパーたち

スコットランドのハイランド地方では、バグパイプは音楽としてだけでなく、戦いの場でも使われてきました。
ハイランド連隊では、パイパーが兵士を鼓舞し、進軍や命令を伝える役割を担っていたとされています。大音量かつ、息を吸う間も音が途切れないというバグパイプの特性が、戦場での意思疎通や士気の維持に適していたためです。
パイパーが実際に戦場で演奏し、危険にさらされた記録は近代の戦争にも残されています。武器を持たずに演奏に徹するパイパーの姿は、勇敢さの象徴として語り継がれてきました。
18世紀、バグパイプが「禁止された」という伝説

バグパイプの歴史でよく語られるのが、「18世紀にバグパイプの演奏が法律で禁止されていた」という話です。ただし、これは正確ではありません。
1745年のジャコバイト蜂起が鎮圧された後、イギリス政府はハイランド地方の武装解除を進め、男性や少年によるハイランド服(タータンやキルトなど)の着用を法律で制限しました。
この時期にバグパイプの演奏も禁じられたと語られることが多いのですが、実際の法律にはバグパイプそのものを禁止する明文規定はありません。
この「禁止説」が広まった背景には、ジャコバイト軍のパイパーだったジェームズ・リードが1746年に処刑された裁判があります。この裁判で、バグパイプは「戦争の道具」とみなされました。
つまり演奏そのものが一律に禁じられたというより、バグパイプがハイランドの反乱や軍事文化と強く結びついていたために、厳しい目で見られていた、と説明するのが正確です。
なお、ハイランド服の着用制限は1747年に施行され、1782年に廃止されています。この間、ハイランド文化全体が政治的な弾圧の対象になっていたのは事実です。
一度は厳しい立場に置かれた楽器が、その後ふたたび演奏の場を広げ、今ではスコットランドを代表する存在になっている。この歴史を知ると、バグパイプの音色に対する印象も少し変わってくるのではないでしょうか。
「大きな音楽」と「小さな音楽」、儀礼の中のバグパイプ

ハイランド・バグパイプの音楽は、大きく「大きな音楽(ceòl mòr/ピブロッホ)」と「小さな音楽(ceòl beag)」に分けられます。
ピブロッホ(piobaireachd)は、長大な変奏形式を持つ芸術音楽で、戦意を鼓舞する曲だけでなく、哀悼曲、挨拶の曲、集会を告げる曲など、さまざまな用途で演奏されてきました。
楽譜が一般化する以前は、旋律や装飾音を独特の音節で歌う「カンタリャハ(canntaireachd)」という口承を中心とした方法で、師から弟子へと伝えられていたとされています。ピブロッホは18世紀以降も途切れることなく演奏・継承されており、現在も競技会などで聴くことができます。
一方、行進曲やリール、ジグといった舞曲を中心とする「小さな音楽」は19世紀に入って盛んに演奏されるようになり、複数のバグパイプと太鼓による「パイプバンド」が軍楽隊として編成されるようにもなりました。
結婚式や葬式、ハイランドゲームなど、人生の節目や祭礼の場でバグパイプが演奏される文化は、今も色濃く残っています。
その集大成ともいえるのが、エディンバラ城を舞台に毎年開催される「ロイヤル・エディンバラ・ミリタリータトゥー」。多数のパイプバンドが一堂に会する光景は、まさにバグパイプの歴史が今に受け継がれている証といえます。
エディンバラでのバグパイプ体験や、アイリッシュ音楽とケルト音楽の違いについては、こちらの記事でも触れています。
バグパイプ│まとめ

- バグパイプの正確な起源は不明。古代西アジアや古代ローマに原型と解釈される資料はあるが、確定した系譜は証明されていない
- スコットランドに伝わった時期も定かではなく、確実な図像・文献史料は主に15世紀以降
- 現在の形(3本のドローンを持つグレート・ハイランド・バグパイプ)が標準化したのは18〜19世紀
- 演奏を一律に禁じた法律はなく、1746年以降に規制されたのは主に武器やハイランド服
- ピブロッホ(大きな音楽)は18世紀以降も途切れることなく継承され、行進曲などの「小さな音楽」とともに、今も結婚式や祭礼で演奏される
起源がはっきりしない楽器が、スコットランドで独自の音楽文化を育て、ハイランド文化への弾圧を経てもなお、その土地そのものを象徴する存在になった。バグパイプの歴史は、ケルト文化の強さと柔軟さの両方を物語っているように感じます。
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